• 080-5062-1716
  • お問い合わせ

メニュー

ホーム > お知らせ&ブログ > 「怒り」の手放し方 ~感情の毒抜きと怒りの調理法〜

「怒り」の手放し方 ~感情の毒抜きと怒りの調理法〜

  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2020年5月6日

今、世の中にはいつもより「怒り」が増していて、

こちらがなんとか、「今できる安全運転」をしていても、

様々なもらい事故になってしまうリスクが増えている。

先日も娘を連れ、マスクをして散歩をしていたら、

近所のマンション住人らしき中年女性に睨まれてしまった。

自分が速度超過しながら誰かを煽り、なおかつ

「お前の運転は危険運転だ」などと攻撃する態度でさえ、

正当化されがちな世の中だと感じる。

 

 

 

例えば仮に、政策や保証が完璧に遂行されたとして、

その手の愚行は消滅するだろうか?

私は、その手の愚行は、手を変え品を変え、政策や保証に

関わらず発生するのが世の常だと、諦めている。

だからこそ、どのように負の連鎖から脱却し、

自分の愚かさや世の愚行と「うまく共存してゆくか」

というテーマを、運動と結びつけて日々考えている。

 

 

 

「怒り」という感情は喜怒哀楽の中で一番、攻撃性が強く、

他者を傷付ける可能性が高い。だから仏教などでは、

「三毒」として、人にとって毒性が強いとされています。

しかし一方で、喜怒哀楽という感情は人間にとって、

どれも不可欠で、欠かすことができないとされている。

世の中というのは、「矛盾」でできているから困ったものだ。

 

 

 

では、どうしたら、「怒り」とうまく

共存することができるのだろうか?

僕は、日頃から「喜・怒・哀・楽をまんべんなく使う」

ということでそれを実現できると思う。

つまり、もし自分が「怒っている人にいつも怒ってしまう」

のであれば、「怒っている人を哀れむ練習」をしてみる。

 

 

 

要するに、「本来哀れむべき事象」を「無意識で怒ってしまっている」

という癖に気付けることが肝心だ。

我々日本人は、「哀れむ」という態度が苦手だ。

それはなぜかというと、

「哀れむ」という態度は、縦社会の日本では

「上から目線」と捉えられるからだ。

無意識の中で「哀れむ態度」をするのもされるのも

避けている人が多い。しかし、個人主義を基本とする欧米文化では、

「哀れむ」という態度を「上から目線」とする認識は無く、

むしろ「哀れまれること」に対し、多かれ少なかれ、感謝を抱く人が日本より多い。

 

 

 

感情の抱き方というのは、反射的で、文化や教育に応じ人それぞれだ。

しかし自分にとって得になる考え方は選ぶことができると思う。

これからの時代、既存の文化に依存した価値観は疲弊してゆく。

幸い、「怒と哀」は「喜と楽」で挟まれている。

オセロのように全て真っ白とはいかなくても、

苦手なものを挟んでおいしく調理するように、

毒を抜き、おいしく頂く日本の食文化のように、

上手に消化していきたい。

 

 

 

日本には困難な状況でも力強く生き抜くアイディア、

素晴らしい価値観、美徳がある。

誇るべき日本人としての精神を、

ウィルスなどに奪われてはいけない。

 

         ↓

 

ナヴィーオ代表 山崎

 

〜ご質問やご感想など是非コメント欄で教えてください。お仕事のご依頼やご相談はメールにてお願い致します。〜
enter-the-yama@hotmail.com

コメントを残す

入力エリアすべてが必須項目です。メールアドレスが公開されることはありません。

内容をご確認の上、送信してください。

ページの先頭へ戻る