2022年8月19日
金曜日の朝、トレーニングから帰ってきてデスクに向かっている。
30℃を下回る空気は涼しいどころか少し肌寒くさえ感じた。
またあの極寒の中でトレーニングをしなければならない日々もそう遠くはないだろう。
今日も間もなく8時からはパーソナルセッションが始まる。
その日のクライアント全ての情報に目を通す。そんな日々を続けて、もう14年経った。
トレーニングに来てくれる人が途絶えたら、僕と家族は食いっぱぐれてしまう。
(その時は鍛えた精神力を駆使して、ウー○ーイーツで日本一を目指すつもりだ。)
だが、ふと時々疑問に思う。
なぜわざわざ高いお金を払ってトレーニングに来てくれる人が絶えないのだろう。
それも何年も、何年も…。
我々は日々(多かれ少なかれ)虚像の自分を生きている。
「虚像の自分を生きる」という事自体は社会の中での事実でありある程度必要であると僕は思っている。
問題なのは、その「虚像の自分に対する称賛や批判」が増え、
自分の実像(本来の自分)の居場所が無くなり、
自我を(多かれ少なかれ或いは完全に)無くしてしまう事では無いだろうか。
さて、では「本来の自分」とは果たして誰なのか?
果たして「自我」とは何なのか?
その問いに対する自分なりの解を、みんなどこかで求めているのではないか?
難しい事ではあるけれど、それらを楽しみながら探す事や、
切磋琢磨し見つけて勝ち取っていくプロセスが楽しいから、
みんなトレーニングに来てくれるのではないだろうか。
虚像とは実像の裏返し。
誰しも本当の自分を大切にしておきたいのに、しづらい世の中になっているのではないだろうか。
なぜわざわざ高いお金を払ってトレーニングに来てくれる人が絶えないのだろう。
それも何年も、何年も…。
そんな問いが時々僕を襲う。
しかし、今ではすんなり答えが解る。
僕自身も、自然の中でトレーニングをし自分自身と向き合い続けているからだ。
そんな恩恵をこれからもみんなでシェアしてゆきたい。
ナヴィーオ代表 山崎
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