2020年3月12日
前回の記事を書いてから、
逆境の中でどうしたら「うまくやる」ことができるか?
しばらく考えていました。
今日はそれについて3分程で読める記事を書きました。
未知のリスクが流行し、健康を害す不安にさいなまれ、
それでもなお、穏やかでいる。
むしろそのほうがある意味どうかしていますよね。
イライラし、焦りによって「結果的に」行動選択が鈍くなってしまう。
そうしたことは理解できるし、自然な反応だと思います。
イライラしてしまうことも、焦ってしまうことも「人の一部」。
イライラを抑えつけようとしたり、
焦る自分を否定してしまうことのほうがよっぽどリスクであり、
「自分という組織」にとっても、「人と人の組織」にとっても、
非協調的だと、僕は思う。
というようなことを、
先日社会人のバスケ大会に出場した帰り道に、改めて気づいたんですね。
僕らのチームは前半調子がよく、後半を迎えました。
しかし後半は相手のシュートが面白いように決まり、
ついに1点差まで追い上げられてしまったんです。
僕もチームメイトも苛立ち、ミスが連発しました。
結果1点差で逆転負けをしてしまったのです。
この状況をどうしたら好転させられていただろうか?
帰り道に考え、一つ案が浮かびました。
ユーモア、ではないだろうか?
後半の追い上げられている時間帯にチームに「ユーモアが無いなあ」と
僕は感じました。ユーモアというのは、
見えない性質を変化させて和ませる力ではないかと思います。
例えば、雨の日に、雨だからこそ楽しめる趣味に没頭すること。
例えば、雨の日の失敗談を、誰かとおかしくお喋りすること。
つまりユーモアには2種類あって、
①状況を認知し、自分にとって最適な解釈に調整する力。
そして、
②解釈した内容を和やかに描写、言語化し共有する力。
なのではないかと。
負けている時や辛い時こそ、声を上げる。
それだけで、うまく回ることって一杯ある気がします。
「あ、あいつ元気だな」「俺もがんばろう」
そうした気持ちの交換が、「勝てるチーム」「折れない社会」
の土台ではないでしょうか。
「勝っていること」
「安全、平和であること」
「調子のよいこと」
これらが「前提であり」「当たり前」のことである。
もしもそうした価値観が脳を埋め尽くしているとしたら、
未知のリスクや逆境が訪れた時、恐れは増し、判断は鈍ります。
改めて、未曾有の事態にご尽力されている方へ感謝申し上げます。
辛い時ほど明るい人には、その人特有のユーモアがある気がします。
そうした人から学び、私にできることを改めて模索致します。
ナヴィーオ代表 山崎
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