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「いちばん」について考える ~「やさしくなれる人」の中身〜

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2020年1月30日

こどもが産まれてからというもの、公園や、室内の遊び場、こども同士の集いなどに参加する機会が増えた。そんな時に感じるのは、色んなこどもがいるなあ。ということ。当たり前のことなんだけれど。こどもの数だけ、その場にはいろんな学びがあるように思うんです。言葉が拙いこどもの様子を見ていると、彼らの一人一人が「ぼく(わたし)はこう思うんだ!」と言葉以外の情報を発信しているんじゃないかと思うんですね。我先に遊具を独占したがる子。負けたくないけど奪い返せないで居る子。距離を取って静観する子。助けを求める子。その一つ一つの発信をいかに受信してあげられるかが、おとなの努めのような気がしています。

 

 

 

親として、誰しも、みんなの遊び場の中で一番かわいいのは「我が子」だと思います。当たり前だけど、我が子がいちばんかわいいと思います。僕も、我が子はいちばんかわいいです。そんな時、大人になってからこんなに明確に、「いちばん」について考えてこなかったなあと感じているわけです。今日一番食べたいもの、今一番行きたい場所。「みんなの都合優先でいいですよ」などと言いながら、随分「僕のいちばん」をないがしろにしてきたなあと思っています。我が子を「いちばん」かわいがるのと同様に、「自分の中のいろんないちばん」を大切にできなければ、少しずつ、でも確実に、僕が僕でなくなっていってしまうのだろうなあと、ちょっと恐ろしくなってきます。

 

 

 

自分の中の「いちばん」の誕生の裏には、必ずと言っていいほど「いちばん以外」が存在します。「いちばん」を明確に感じる時、無意識の中、いろいろな比較の中、「いちばん」と「いちばん以外」を分けているように思います。不思議と、「いちばん」が明確だと、「いちばん以外」が大切に思えてきます。「いちばん以外」が無ければ、もしかしたら「いちばん」の明確性が欠けるかもしれないからです。

 

 

 

人間なので、イライラしたり、余裕が無い時はあります。そんな時は、「いちばん」を強くイメージするようにすると、ちょっと頭が整理されていくような気がします。整理された頭で見えてくる世界は、少し広くなります。すると、「いちばん以外」にも視野が少しずつ届いていきます。自分にとっての「いちばん」は、誰かにとっての尊くていちばん大切なヒトやモノやコトの中で、成り立っている。

 

 

 

社会の中でだったり、おとなとしては、公共の場で、あんまりいちばんとかいちばん以外とか口にすることではないです。だからこそ「いちばん」を少しずつ忘れていないかな?という自問自答でした。最近は、公園や、遊び場で、我が子の一挙手一投足を見守りながら、他の子の一挙手一投足も見守っていたりします。僕にとっての「いちばん」は、誰かにとっての、尊くて、大切なヒトやモノやコトの中の「スペシャル」なんだなと感じると、少しやさしくなれるような気がします。

 

 

カレーがいちばん好きです。カレーは週に4回は食べてます。

 

 

ナヴィーオ代表 山崎

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