2022年10月19日
Dear Mr. unknown friend.(親愛なる名も知らぬ友へ)
ブラジルのサルバドール州にバーハ海岸という場所がある。海岸沿いは綺麗に舗装され、早朝からランニングやウォーキングをする人で活気に満ち溢れている。僕はカポエイラの修行で3ヶ月程このバーハに住んでいた。道場までは、バーハの海岸からバスに乗って出かけていた。
ある日、僕がバスを待っていると「Oi! meu amigo!」(やあ!友よ!)と声をかけられた。(ブラジル人は驚く程フレンドリーだ。)そこに、僕と同じくらいの年齢の青年が立っていた。身なりはボロボロで、浅黒く、腕の付け根には10センチほどの刺し傷のようなものがあった。僕は直感的に「やばい」と感じたが、目をみて話をすることで彼が危険人物でないことを不思議と、本能的に察知した。それからというもの、彼とバーハの海岸で会うとあいさつをするようになり、次第に散歩やカポエイラを一緒にするようになった。ある日彼が、「oi! meu amigo. Vamos beber cerveja!」(なあ、友よ。ビールでも飲もう!)そう言ってきた。僕は、「こいつビールなんか買えるのか?」そう思ったが、だまされたつもりで付いていくことにした。(この時僕は、本当にこれでビールを一緒に飲めたら素晴らしいし、人間は言葉が片言でしか通じなくても心で対話ができるんだ!と楽観する一方、万が一のことがあったらすぐに逃げれるようにしておこう、そう思っていた。)
セントラルから5分程、町外れのほうへどんどん歩いていき、街頭が薄暗くなっていった。すると彼が、「ここから先は危険だ。僕がビールを買ってくるから金をくれよ」と言った。確かに、それ以上先は危険な匂いがプンプンした。観光客はまず近づかない、いわゆるファベーラ(貧民街)だ。迷いなく、僕は彼に紙幣を渡しビールを買ってくるという彼を待つことにした。20分、いや、30分くらい待っただろうか。僕は、今までの彼とのやりとりの中で感じていた、言葉以外でのつながり、一緒に散歩をしたり、カポエイラをしたり、片言のポルトガル語の話し相手になってくれた彼の優しさを思い出していた。その30分はとても長く感じた。「彼は戻ってくるだろう」そう思う自分と、「やっぱり金が欲しかっただけだったんだ」そう思う自分が居心地悪く同居していた。そして、「もう戻ってこない」そう思い諦めて帰ろうとしたその時・・・
「おいっ!おまえ!!」
声がした方向を振り向くと、そこには全く知らない180cmを超える大柄な男がいて、僕の方を指差していた。
「やばいっ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
一瞬にして、全身に緊張感が走った。
しかし、続けて発せられた言葉は僕を気遣う意外な言葉だった。「こんな所にいたら危ない。それに奴はもう戻ってこないよ。」奴・・・?僕は一瞬戸惑った。その大男は僕が待っていた青年の知り合いだという。「やはり、金欲しさだったんだ・・・・・。」その時の僕は、虚無、怒り、理想と現実の衝突。色々な感情で胸が一杯になった。その感情を胸に抱き、やたらと重い脚を引きずり宿へと戻っていった。しかし、最後までなぜその大男が僕に忠告しに来たのかはわからなかった・・・。
翌日から、バーハの海岸を歩く時は青年に会わないよう周囲に気を付けながら行動するようにした。もう彼の顔は見たくなかったし、これ以上関わりを持つと危険だと感じていた。しかし、恐れていた事態が起きた。ある日、僕がバーハの海岸を歩いていると、彼が僕を見つけたらしく向こうから手を振っている。悪ぶれることなく手を振っているので、僕はとにかく無視を続けた。すると、こっちの方へどんどんどんどん走ってきた!!
「Oi! meu amigo!!」(やあ!友よ!)
いつもの調子で声をかけてきた。
「人の金をぶんだくっといてどういうつもりだ!?」僕は、片言のポルトガル語で口調を強めそう言い、立ち去るよう促した。しかし、彼は従おうとはせず、何かを訴えかけようと必死だった。やがて、とりあえず話を聞こうという気持ちになり、ひとまず海岸へ歩きはじめようとすると彼がこう言った。
「僕にズボンを一枚買ってくれないか?」
「こいつ頭がおかしいのか?」僕はそう思った。確かに彼の身なりは信じられない程ボロボロだった。ただ、僕は彼の瞳の奥に今まで出会った「単なる物乞い」との、なんだかよくわからないけども明らかな異質性みたいなものを感じていた。すると、彼は腕の付け根にある刺し傷について話しはじめた・・・・・。
彼の右肩のちょうど三角筋の下辺りの傷は、完全に治癒していたが治った後がギザギザで、ナイフで「切られた」というより「ぶっ刺された」というレベルのものだった。「これは、貧民街の争いでやられた」彼が言った。そして、彼はその後延々と彼の人となりと彼を取り巻く環境、ファベーラでの暮らしについて語り続けてくれた。僕のポルトガル語のヒアリング能力は拙いが、不思議と彼が言うことの大半が理解できた。僕には、彼が清らかな心を持ち言葉と一緒に彼の目が語っているかのように思えた。だから理解できたのだと思う。彼の両親は、遠い場所で暮らしている。家族は貧しく、父親は家族や母親に暴力を振るうのだという。彼には兄妹が5~6人(?)いて、彼が長男とのこと。今は身の安全を図るため、父親と離れてこのファベーラに暮らしていて、母親は蒸発してしまったらしい。物乞い、車の洗車などをして、兄妹にメシを食わせているのだとか。
「俺の身体はボロボロだ。でも善い心(Coraçao boa)があれば生きていけるよ」彼が言った。その時、僕は雷に打たれたような、物凄い衝撃を受けた。ボロボロのTシャツと短パンを身にまとった青年の、言葉と、眼に、身体の内側から溢れるエネルギーが反映されているように感じた。
そして、僕らはカポエイラをした。貧しくても、カポエイラはできる。だから彼はカポエイラを続けているのだという。その頃、季節はクリスマスだった。僕は、こう言った。「なあ、友人。新しいズボンを買いに行こう!」その時の彼のリアクションは、今でも鮮明に覚えている。全身を震わせながら、眼を見開き、全身に鳥肌が立っていた。それは少し離れた位置からでも鮮明に確認できる程だった。まさに「生の人間の喜び」だった。
それ以降、彼とは何度か会い、僕が日本から持って行った古着を彼の兄妹にも分け与えた。後日、彼が僕の前に姿を現すと、新しいズボンと、お古のTシャツを誇らしげに着ていた。
「友よ!今日はいつもよりちょっとだけかっこいいな!」僕はそう言い、僕たちはカポエイラをした。
それ以来、彼とは会っていない。彼の名前も知らない。でも、彼は僕の名前を知っている。お古のTシャツと一緒にたまたま持っていた自分の写真に名前を書いて渡したからだ。
今も、「善い心」について迷った時、僕は時々彼を思い出す。
一生消せない、心の灯。
彼は「コラサォン・ボア」を、僕の心に灯してくれたんだ。
コメントを残す